VS.

『ある子供』

ある子供 [DVD]

ある子供 [DVD]

今まで見た映画の中で、上位に来た作品。


以下、ネタバレ有↓



乳母車を置いて、
泥水の中に足突っ込んで、
汚れたその足を壁に飛んで蹴り跡つけて、
高くまで飛べたと喜んでる彼の姿に、
タイトルの“子供”が誰なのかを凄く見せ付けられた。



子供を売ろうとしてるなら、
いい人?、だとか、
お金持ちだといい、だとか言わないで。
後ろ髪引かれるように、振り返らないで。


取り戻したら取り戻したで、
大事そうに赤ちゃんを抱き締めないで。



愛してる、更正するから、
と言ったすぐ後に金を乞い、
更にその足で乳母車を売りに行く神経。


それが極悪人とか、碌でなしだとか、
解りやすければいいんだよ。


でも、違うからタチが悪い。
憎めないから、それが辛い。



ティーヴを、見捨てるかと思った。
それなのに、
溺れるスティーヴに自分に捕まれと言うし、
引き上げれば背負ってやる優しさがある。
その上、足をさすってあげたり、
警察に捕まったスティーヴのもとにスクーターと盗んだ金を持って出頭したりする。



行動に矛盾があるのに、
けれど繋がっていて、それが自然すぎてその現実が痛い。


彼はいつでも裏がなく、
ただ思ったままにごく自然に素直に行動する。
そこには本当に、
裏だとか計算がないから、憎めない。


憎ませてくれたら楽なのに、
見捨てられたら楽なのに、
彼がそんなある意味キレイな“子供”である以上、
きっと私もソフィアと同じように彼を憎めないし見捨てられない。

もっと言えば、
“母”になってしまったソフィアは絶対に彼を捨てられなくなってしまった。


そして、
きっと彼は、この先ずっとあのままな気がする。


成長して大人になるだとか、
経験値増やせば大人になるだとか、
そんなレベルの問題でなくもっと根本的なとこで無理なんだと思う。



子供が元気だと知り、
そこで初めて後悔して泣く彼。
そんな彼と言葉なく手を握り合って、
頭を抱き抱え合って泣くソフィア。

そんなふたりが泣き合う姿が、
どうしようもないほどにやりきれなさに溢れてて、ただただ辛かった。


そんな中、
無駄な音楽が流れることなく静かに終わっていったのが、凄くキレイだった。




でも泣いたのは、
赤ちゃんのいない乳母車を、
ハリガネで補強する何でもないシーンだった。
あの静けさと行動は、反則だろう。



救いは必要だけど、時にそれは必要がないのかもしれない。
そんなことを、思ってしまった映画。




ブリュノを憎めない、と言えば、
だめんずうぉーかー の気があるよね、と言われた。


マダオは好きだ。

だって憎めないんだよ?
それなら、逆しかないじゃないか。